アウグステ・「グストゥル」・ヨルダン-オーストリア・サッカー専門ホームページ

| HOME | オーストリアのサッカー情報 | 名選手辞典 | アウグステ・「グストゥル」・ヨルダン |

アウグステ・「グストゥル」・ヨルダン

Auguste „Gusti“ Jordan (1909.02.21-1990.05.17)

フランス代表選手として優れた功績を残し、フランスA代表主将にも任命された名FW。

若い頃にはLASKリンツの一員としてオーバーエステライヒ州選手権優勝やオーストリア・サッカーアマチュア選手権準優勝などを果たし、1931年に当時オーストリア・ブンデスリーガに属していたフローリズドルファーACの一員としてプロデビューを果たす。

プロ初シーズンから16得点を記録するなどの活躍を見せ将来が期待されるが、ドイツに続きオーストリアでもナチス党の影響が強くなると同国出身GKのルドルフ・ヒデンと共に1933年にフランス・リーグアン名門RCパリ(現在のラシン・クラブ・デ・フランス)に移籍。
13年に渡りリーグを代表するFWとして得点を量産し、リーグ優勝1回フランス・カップ優勝4回に貢献する。

1938年にフランス国籍を取得すると同年にフランスA代表に選出され、1938年FIFAワールドカップ・フランス本大会にも出場、準々決勝進出を果たす。後にはフランスA代表チームの主将にも任命され、1945年までプレーを続ける。
代表引退試合では母国オーストリアとの対戦になり、1-3で敗戦を喫し、悔やまれながら引退を表明する。

このようにフランスサッカー界には多大な貢献をしたヨルダンだが、オーストリア・サッカー代表からはついに一度も招集がかからなかった。

現役引退後は指導者としての道を歩み、レッドスターFC93、オリンピック・マルセイユ、SMカーン、ザールランド代表、RCパリなどを率いる。
指導者として最も大きな成功はベルギーで収めており、ジュピラーリーグ(1部)の名門スタンダール・リエージュを率いてリーグ優勝を果たしている。