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ハインツ・シルヒャー

Heinz Schilcher (1947.04.14-)

1970年代、オランダの名門アヤックス・アムステルダムの中心選手として同クラブの黄金時代をヨハン・クライフやヨハン・ネースケンスらと共に築き上げた名選手。

1965年に守備的MFとしてオーストリア・ブンデスリーガでデビューを果たす。オーストリアでは主にグラーツァーAKとSKシュトゥルム・グラーツでプレー。タイトルとは無縁ながらも優れたプレーをコンスタントに見せ、1971年にオランダの名門であり、当時ヨーロッパ最高レベルを誇ったアヤックス・アムステルダムに移籍する。

オランダ屈指の歴代選手ヨハン・クライフやヨハン・ネースケンスらと共に1971年から1973年にかけてUEFAチャンピオンズカップ優勝2回オランダ・エールディヴィジ優勝2回オランダ・カップ優勝1回等を果たし、同クラブの黄金時代を築く。

1974年の冬からフランスに活躍の場を移し、当時フランス・リーグアンに所属していたパリFCやニーム・オリンピックでプレー。また1976-77年シーズンには当時2部に所属していたRCストラスブールの1部昇格の原動力となる活躍を見せる。

1978年に再び古巣のSKシュトゥルム・グラーツに復帰、オーストリア・ブンデスリーガで4年間プレーを続け、1982年に現役引退を発表する。

現役引退後は主にSKシュトゥルム・グラーツのGMとして活躍。RCストラスブール時代の盟友イヴィツァ・オシムを同クラブの監督に就任させ、1990年代後半の同クラブの黄金時代の土台を作り上げる。

オーストリア・サッカーの歴史に名を残す名選手ではあるが、オーストリア代表では全く実績を残していない。オーストリアには多くの優れた守備的ミッドフィルダーがいたため、1970年代ヨーロッパ最強チームの1つであったアヤックス・アムステルダム中心選手の1人として活躍していたものの、オーストリア代表にはなかなか選出されなかった。唯一出場を果たしたA代表試合は1973年に行われたオランダ戦(1-0でオーストリアが勝利)のみである。

このような状況から、現在ではオーストリアよりオランダでの方が「ァヤックスの黄金時代の一員」として高い評価を得ている。

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写真提供:GEPA-Pictures