イヴィツァ・オシム
(Ivica Osim, Ивица Осим、1941年5月6日生まれ)
2003年よりJリーグ・ジェフユナイテッド市原・千葉の監督を務め、2006年7月から2007年11月まで日本代表監督として指揮を執ったのがボスニア出身オーストリア国籍のイヴィツァ・オシムである。
「シュワーボ」の愛称で親しまれたオシムは現役時代、フォワード及び攻撃的MFとして旧ユーゴスラビア(FKジェリェズニチャル・サライェヴォ)やフランスのクラブ(ラシン・クラブ・デ・フランス、RCストラスブール、スダン、ヴァランシエンヌ)等でプレー。ユーゴスラビア代表としては20試合に出場し8得点を記録。1964年東京オリンピックや1968年UEFAヨーロッパ選手権・イタリア大会等に出場している。
1978年に監督業を始め、翌年には古巣FKジェリェズニチャル・サライェヴォの監督に、1991年にはパルチザン・ベオグラードの監督に就任。同年にはキリンカップに出場するため、パルチザン・ベオグラードの監督として来日している。
また、長年に渡りユーゴスラビア代表のコーチや監督を兼任していた。1990年FIFAワールドカップ・イタリア大会にも監督としてユーゴスラビア代表を率いて出場している。当時の代表チームの中心選手には、後に名古屋グランパスでもプレーをすることになるドラガン・ストイコヴィッチがいた。
ギリシャの名門パナティナイコス・アテネの監督を経て、1994年にオーストリア・ブンデスリーガで中位から下位に甘んじていたSKシュトゥルム・グラーツの監督に就任。
積極的な補強策及び若手の育成が功を奏し、退団するまでの8年間でオーストリア・ブンデスリーガ優勝2回、オーストリア・カップ優勝3回、UEFAチャンピオンズリーグ本大会出場3回を果たす。
当時の主力選手として後にJリーグでもプレーをすることになるマリオ・ハース(ジェフ千葉)やイヴィツァ・ヴァスティッチ(名古屋グランパスエイト)らがいた。
2002年9月にSKシュトゥルム・グラーツを退団、2003年よりJリーグ・ジェフユナイテッド市原・千葉の監督を務め、2006年にはJリーグ・ナビスコカップで優勝を果たす。
同年7月から2007年11月まで日本代表監督を務め、日本サッカー界に多大な影響を及ぼす。
写真提供:GEPA-Pictures