== EUROな日々 ==
(EURO:UEFAサッカーヨーロッパ選手権)
第16回 閉幕、そして私の夢
僕達ドイツが負けた。
我らオーストリアも善戦したものの、ドイツに敗れてグループリーグで敗退した。
2010年FIFAワールドカップ・南アフリカ大会に期待しよう。
次回は優勝できると信じている。しかし信じるだけでは意味がない。私もそれに貢献したい。
サッカー選手として、そして人間としても優れたパーソナリティーを持った若手選手を育て、これからも代表チームやブンデスリーガのチームに送り込みたい。
いつか私の下で育った選手がUEFAヨーロッパ選手権、FIFAワールドカップ、UEFAチャンピオンズリーグやUEFAカップの決勝戦のピッチに立っている光景を見たい。これも私が持っている1つの夢だ。
第15回 間もなく決勝
もうすぐ決勝戦。ドイツ代表とスペイン代表が対戦する。
ドイツの決勝戦に備え、ダイムラー社の工場内には巨大プロジェクターが設置され、BMWはドイツの工場を一時的に閉鎖した。
ルフトハンザ・ドイツ航空のパイロットには地上の管制塔から最新の結果が送られるように手配されている。
日本では信じられないことだが、国を挙げて応援し、会社を休んで応援するのも当たり前だ。ドイツ国会も、ドイツ戦の開始時間に間に合うように、決議が通常よりも早く行われたとテレビで報道された。毎日サッカーのA代表の試合があれば、もっと国の政治が早くなるのではないかと言う皮肉なコメント付きで。
ほとんど全てのテレビ番組が多かれ少なかれサッカーを題材にしている。バラエティー番組ではコメディアンがサッカーをテーマにしたジョークを言い、ニュースでは半分以上がサッカーの話題だ。サッカー中継の合間(ハーフタイム)に「ここでニュースをお伝えします」と流れるニュースも、3分の2以上がサッカーの話題である。もちろんテレビCMもサッカーに関するものに変更されている。ドラマでさえサッカーの話題を取り入れたものがあった。それほどサッカーに国民の関心が集まっているのだ。
サッカーは社会を映す鏡であり、社会が誇る文化でもあり、そして社会そのものでもある。
第14回 兄弟対決
準決勝でドイツとトルコが対戦する。
ドイツはなんと言ってもトルコからの移民が多い。ドイツの首都ベルリンはトルコの首都イスタンブールの次にトルコ人が多い街と言われている。実際にドイツでプレーするトルコ人選手も多く、また逆にトルコで監督をするドイツ人監督も多い。1980年代から90年代にかけて行われたトルコ・サッカーのモダン化はドイツ出身の監督によるものであるし、現在でもトルコの名門ガラタサライの主力選手の多くはドイツ出身のトルコ人だ。
ある意味、夢のような兄弟対決だ。
しかし、同時にドイツ出身のトルコ人にとっては複雑な心境でもある。彼らにとってドイツもトルコもどちらも母国なのだ。
「どちらも母国だからどのような結果になっても、決勝戦でマイチームの応援ができる。」とドイツ国営放送のインタビューでトルコ人が話していた。このような気持ちを持っているトルコ人はとても多い。特に若いトルコ人の間では。
サッカーを通して社会の国際化の状況が見えてくる。
最後に:
私にとっても日本とドイツが対戦したら非常に複雑だ。できる限り対戦して欲しくない。
第13回 ドイツの皮肉
今日はドイツの皮肉を紹介
(イングランド・サポーターの方は読まないでください):
「愛するイングランド代表」がいなくて本当に残念である。
なにしろ準決勝で「僕達ドイツ代表」にPK戦で負けるチームが一つ減ってしまったのだから。
第12回 指導者の眼とスカウティング
何を考えながらサッカーの試合を観戦するだろう。現日本代表監督の岡田氏のインタビューで「自分ならばどのように交代するかを考えながら観戦する」、という発言があった。それは確かにその通りだと思う。私も「この時点ではボロフスキーを入れてバラックの守備の負担を軽くし攻撃に専念させ・・・」ということも考える。
しかし「掘り出し物」を探すように見ているのも事実である。私がもし某クラブの監督であったならば、どのポジションをどのように補強するだろうか。もちろんクラブの予算を考慮して・・・何を基準にしてどの選手を獲得するだろうか?この基準がクラブの状況によって全く別のものになることは言うまでもない。もし明日ドイツやオーストリア、日本のクラブに身をおいたならば・・・。常に選手を発掘する眼を養うよう心掛けている。
スカウティングする際の常識だと思われるが、肝心なピッチ上でのパフォーマンス以外にも例えば味方が得点、もしくはミスをした際などの試合中でのちょっとしたしぐさ、ピッチ外での行動、試合前後の発言なども注意深く観察する。
もちろん世界中で知られているようなブラジル、イタリア、フランス、アルゼンチンのA代表で主力選手として活躍している選手を詳しく調べ上げても、彼らを獲得することは至難の業である。
しかし、興味深いのは(まだ日本ではあまり実感がないかもしれないが)例えばフランスでベンチを温めている選手、またはデンマークやノルウェー、スウェーデン、ギリシャ、ルーマニアなどでプレーをしている選手。
前回のアフリカ選手権で素晴らしい活躍を見せたある代表選手が、実はノルウェーの小クラブに所属していて、驚くような安い金額で獲得することができる、ということを発見したこともあった。
世界は広い。優秀な選手は至る所にいる。ブラジルやアルゼンチン、旧ユーゴスラビア等も良いが、ノルウェー、スイス、オーストリア、スウェーデンなどでスカウティングをすると予想もしていなかったような収穫を得ることが多い。ここ最近、エジプトやグルジア、チュニジア等もサッカー選手発掘の場所として注目を集めていることは日本でも知られているだろうか。
第11回 ネクスト・ジェネレーション
これまで10人前後のトルコ国籍の選手を指導してきたが、現在でもとても良い関係を築いている。彼らは日本出身である私に、日本に対する尊敬の念からか、同じ外国人という意識からか、とても好意的だ。
もう20歳近くになった彼らは現在でも私と頻繁に連絡を取っている。彼女との別れ話、タバコ問題、学校や就職での悩み事など。私はこのような(元)選手達と今でも良い関係を築いていることをとても嬉しく思っており、彼らは私の誇りでもある。
話は「トルコサポーターの行進」に戻るが、実は同じく私の教え子(選手)だったオーストリア人もトルコ人の友達と肩を組みながら一緒に行進していた。
金髪碧眼のオーストリア人が「トルコ人の友達が多いからトルコを応援するんだ!」とトルコの名門ガラタサライのユニフォームを着て言う。そしてトルコ人と肩を組みながら一緒にトルコを応援し「トゥルキェ!トゥルキェ!」と叫んでいる。民族も宗教も違う人々が一丸となって応援している。
これは一世代前のオーストリア人には考えられないことだろう。50代以上の多くのオーストリア人にとって、トルコ人は完全に移民であり、異文化民族、貧しい国から来た働き手という意識が強く、あまりトルコ人を良く思っていない人が実際に現在でも多い。非常に残念なことである。ただドイツ語が闊達でオーストリア人の中に溶け込もうとする50代以上のトルコ人は多くないので仕方がない面も多少ある。
しかし、若い世代は違う。同じように学校に行き、同じ言語を使い、同じような悩みを持つオーストリア人とトルコ人の若者は、民族や宗教や文化の垣根を越えて、仲間なのだ。
このような国際社会で人種や民族と言うものに果たしてどこまでの意味があるのだろう。それらはそれぞれ個人が誇りに思うべきものであり、他人を差別する材料や、まして紛争の原因になるべきものではない。少なくとも21世紀では。
話は戻るが、この若い世代が持っている考え方、これこそが21世紀だ。そして彼らの姿勢こそ「ネクスト・ジェネレーション」のサッカーの応援風景だ。
第10回 新時代
前日の「トルコサポーターの行進」で見ることができた感動的な風景。
私の教え子(選手)のうちの1人にセルビア人がいる。両親はユーゴスラビアの内戦によりオーストリアに亡命してきた。本人も内戦直前にセルビアで生まれており、ほんの僅かだが当時の戦争の記憶が残っていると言う。
彼は試合中にこう話していた。「自分としてはトルコに勝って欲しい。セルビア人としてクロアチア代表を応援するわけには行かない。自分はクロアチア人が嫌いなんだ。」
試合後の「トルコサポーターの行進」に加わった彼。途中でこの行進を外から見ていたクロアチア人サポーターが野次を飛ばしてくる。
「お前達が勝利できたのはただラッキーだったからだ!実力ではクロアチアが上だ!」。早速セルビア人の彼は言い返す。「負け犬が、何をほざいているか!準々決勝だ、試合内容よりとにかく最後の最後で勝てば良いんだ!フェアな負け方を知らないクロアチア人め!」。
暴力的に聞こえるが、お互い笑顔で言い合っている。そして最後には抱き会いながらセルビア人は「トルコ!トルコ!」、クロアチア人達は「クロアチア!クロアチア!」と叫んでいる。繰り返すが、笑顔でお互い肩を組み合いながらである。
もう21世紀。旧ユーゴスラビア各国の関係も新時代を迎えている。
第9回 トルコサポーターの行進
トルコがクロアチアを相手に大逆転勝利。感動的なドラマが再び展開された。
インスブルックの街中で祝う何千人もの熱狂的なトルコのサポーター。トルコ人のエネルギーを肌で感じた。インスブルックに限らず、これほど多くのトルコ国旗がオーストリアやドイツの街で見られたことは、これまで一度も無かっただろう。
私もパブリックビューイングで2000人近くのトルコ人と共にこの試合を観戦し、試合終了直後に喜びの余り抱きついてきた昔の教え子達(トルコ系オーストリア人の選手)と約1000人の熱狂的なトルコのサポーターと共に街中を歩いた。非常に貴重な経験であることを実感すると同時に感動すら覚えた。
オーストリアやクロアチア、そして他国のサポーターはこの「トルコサポーターの行進」を温かく見守っていた。そればかりか一緒に行進するトルコ以外のサポーターさえいた。信じられないことだが喧嘩も暴動も起こらない。国境を越えて喜びを分かち合う。
平和なアイデンティティーの再認識だ。
第8回 事実上の「U24」オーストリア代表、健闘と未来への討論
残念ながらオーストリアがグループリーグで敗退してしまった。結果は残念だが、優勝候補のドイツやクロアチアと同じグループに入りながらも3試合での失点は僅か3。しかもそのうちの2失点がバラックによるフリーキック(ドイツ戦、0-1)とモドリッチによるPK(クロアチア戦、0-1)を直接入れられたものであり、唯一の試合の流れからの失点も主審のミスジャッジで相手選手の完全なオフサイドからの失点(ポーランド戦、1-1)。テレビでも報道されたが、本当ならばノーゴールであった。
不運もあったが、全試合で大会前の評判を覆す優れた試合内容を見せたオーストリアは本大会でも十分健闘したと言える。
しかしこの大会でのオーストリア代表の評価は極端に分かれている。詳細はこのホームページの「オーストリア代表の紹介」を見て欲しい。
オーストリア代表や特に代表監督を批判する声が多いのも事実。しかし中には代表選手やコーチ陣等の心理を全く理解しようともせず、サッカー界での自らのポジションを強めるために無意味な、場合によっては無知な批判を繰り返す著名人も多い。しかし彼らはサッカーの発展のために役立っていない。
私は1人の指導者としてこう考える:
たしかに結果は残念であったし、ポーランド戦やクロアチア戦は十分オーストリアが勝てる試合であった。しかし最終戦となったドイツ戦ではピッチに立った14人の選手のうち10人が24歳以下という完全に若手主体であったオーストリア代表はこれからも伸びる可能性を秘めている。
若手が国際レベルの選手になるようにどのような形で育てて行けば良いのか、指導して行けば良いのか?このようなことについてディベートするほうが、ただ単に代表チームや監督を批判するよりも、よほど建設的だと思う。
この大会は多くの若手選手が世界トップレベルの国際大会での経験を積む素晴らしい機会となったはずだ。
第7回 メンタリティー、そして国民性
選手のプレー、特にボールが無いところでの動きやしぐさで選手の性格が見えてくるものだが、A代表チーム全体のプレーを見ていると各国の国民性が見えてくることも多い。
サッカーを通してメンタリティーが見えてくる。
もちろん必ずしも(例えばギリシャのように)現在志向している代表チームのスタイルが国民のメンタリティーに直結しているわけではない。しかしピッチ上、そして各国のサッカー業界を取り巻く環境を注意深く観察していると、非常に多くのことが見えてくる。
トルコにはトルコの、ドイツにはドイツの、オランダにはオランダの、そしてもちろん日本には日本の国民性がある。サッカーを通してそれらが見えてくる。ある意味サッカーは正直だ。ただのスポーツ競技ではない。世界で最も人気のあるこの「チームで戦いながらプレーをするスポーツ」は文化であり、伝統であり、そして社会の鏡でもある。
第6回 ヨーロッパのレベル
日本がワールドカップで優勝するのはいつになるだろう。
夢を持つ、自己分析をする、「夢への階段」を計画する、学ぶ、実力アップを図る、階段を登る、全てをステップバイステップに・・・やらなくてはいけないことは非常に多い。どこかで読んだ言葉だが、「課題とは理想マイナス現実である」。
EURO本大会で敗退したスイスやオーストリア、チェコ、ギリシャ、スウェーデン、そして同大会に出場できなかったアイスランドやデンマーク、ノルウェー等の国々のサッカーを軽視してはいけない。もしくは軽々しく「日本サッカーの方が実力は上だ、もう学べることはない」等と勘違いしてはいけない。日本は残念ながらサッカー強国でも伝統国でもない。このような国々のサッカーから学べることは多い。もちろんA代表の結果のみに惑わされるのも危険だ。
人生と同じである。他国、そして他文化に対してのリスペクトを失った時点でそれ以上の発展は無くなる。そして、リスペクトを失った時点で、ワールドカップ優勝への道は閉ざされてしまう。
第5回 異文化交流
街中にある巨大なパブリックビューイングのスクリーン。スウェーデンとスペインのサポーターが隣同士で両国の対戦を観戦している。そして自国代表チームを熱狂的に応援。そこに存在するのは喜び、悲しみ、期待、落胆、希望など様々な感情。さらにオーストリア、ドイツ、トルコ、ギリシャ、ロシア等各国のサポーターが混ざってこの場を盛り上げている。暴動や喧嘩の気配すら無い。今日も約15万人のサッカーサポーターがこのインスブルックという人口13万人の街で平和にこの大会を心から楽しんでいる。
時には相手チームのサポーターを慰めたり、お互いの健闘を称え合ったりして、抑えきれない感情を共に分かち合う。
社会的な背景を全く理解しないままフーリガンがどうのこうのと騒ぐ人達には是非この光景を見せたい。そして世界最大のイベントであるFIFAワールドカップを再び開催する際にも、「フーリガン問題」を全面的に押し出し住民に警告するのではなく、この「サッカーは人類史上最大パワーを秘めた「異文化接点」である」(再び湯浅健二氏の言葉を拝借)という事実をまず認識して欲しい。そしてこの事実を全国民に伝えて欲しい。
お互いの国民性やアイデンティティーの違い等を自覚した上での活発的な異文化交流。サッカーを通して人類の1つの理想が見えると思う。
このような人類、そして社会だったならば、「バベルの塔」の完成も許されていたかもしれない。
第4回 本当のチームプレーと本質
得点を決める選手が派手に映るのはサッカーと言うスポーツの特性上当たり前のことである。しかしサッカーは「チームで戦いながらプレーをするスポーツ」だ。得点を決めた選手ばかりが高く評価されることはサッカーの発展を考えると良く無い傾向だと思う。
私達指導者に「得点はチームで決めるもの、1人の手柄ではない」、と講習するUEFAだが、実際にはこのサッカーの本質を彼らは忘れているのではないだろうか?と思うことが多い。
もちろん得点を決めるときには、最後にボールに触れた選手の実力が左右することも多い。しかし「ゴール集」等で、最後のシュートシーンのみを見せることは、あきらかに得点シーンを生み出した他の選手達へのリスペクトを欠いている。そしてサッカーの本質を理解していないのではないかと疑ってしまう。
サッカーのゴールは野球のホームランではない。
第3回 微妙な心
トルコ系スイス代表選手であるハカン・ヤキンがトルコを相手に得点を決めた。
そして素直に喜ぶことができない微妙な感情。他の選手が歓喜に沸く中、得点を決めた選手(ヤキン)が神妙な顔をしている。
「サッカーを通して社会が見えてくる」
現在のスイス代表には、多重国籍者が12人もおり、実際前日のトルコ戦で先発出場した11人中8人は多重国籍者であった。しかも残った3人の「純粋なスイス人」のうち、1人はイタリア系で、1人はフランス系スイス人である。また交代出場した3人のうち2人も多重国籍者であった。
ヤキンと同じように、ポーランド系ドイツ代表選手であるルーカス・ポドルスキーもポーランドを相手に得点を決めてしまい、心の底から喜ぶことはできなかった。
時代は変わった。一昔前とは違いハカン・ヤキンやルーカス・ポドルスキーのように特定の代表試合で微妙な感情を持つ選手はこれからも増えていくだろう。
ドイツ人だからと言って必ずしも苗字が「ミュラー」、「マイヤー」、「シュナイダー」であるとは限らない。「アサモア」、「クローゼ」、「ゴメス」も立派なドイツ国籍保持者の苗字なのだ。
分かりにくいかもしれないが、正直なところもし私がオーストリアでプレーしていたなら、ドイツや日本を相手に得点など決めたくない。
第2回 どこでもサッカー
街中どこを見ても、テレビをいつ見ても、サッカーは存在する。
殆どのテレビCMはサッカーをテーマにしている。街中のショーウィンドウにはサッカーボールが置かれている。会社でも毎日聞こえるサポーターの応援歌。経済界のVIPから政治家までサッカーに関わりを持たない人はいない。
サッカーは単なるスポーツではない。国と国の戦いであり、アイデンティティーの再認識の場であり、社会の一部であり、食事・睡眠・愛と同じく、時にはそれ以上に重要な人生の一部である、という事は常日頃感じている。
尊敬する湯浅健二氏の言葉を借りれば「サッカーは人類史上最大パワーを秘めた「異文化接点」である」。
その通り。サッカーを知らない、サッカーについて語れない政治家など話にならない。少なくともヨーロッパでは。
第1回 もうすぐ開幕
開幕戦の6月7日まであと僅か。世界で3番目に大きなスポーツイベントが地元オーストリアで開催され、しかも弊社の本拠地チロル州・インスブルックでも3試合が行われる。2年前には私のもう一つの「地元」ドイツでW杯が開催され、その前には母国の日本でW杯。恵まれている。本当に嬉しい。
私の「3つの母国」で引き続きこのような素晴らしい国際大会が開催される。
サッカー業界にも身を置き、10年以上ヨーロッパでサッカー監督の仕事をしてきた私にとって、これ以上の学習機会は無い。
残念ながら今回のEUROには間に合わなかったが、是非次回のW杯、もしくは次回のEUROには私の下で育った選手にも出場して欲しい。彼らは現在オーストリアU19代表などで活躍している。
もちろんオーストリアにも頑張って欲しいが、ドイツに優勝して欲しい。国内1部リーグの大半のクラブが事実上破産しているスペインやイタリアが優勝するより、サッカーの発展、そして将来のためになる。私は「僕達ドイツ代表」をいつも応援する。