フリードリッヒ・ドンネンフェルト
Friedrich “Federico” Donnenfeld (1912.01.17-1976.03.20)
プロサッカー選手としてオーストリア、イスラエル、フランスのリーグで活躍、オリンピック・マルセイユの一員としてはフランス・カップ準優勝にも貢献している。
戦時中はナチスに反対し、フランス・レジスタンスの一員としてイギリス軍の通信員も勤めていた。
第2次世界大戦後コロンビアへ移住。1949年にはコロンビア代表監督に就任し、コパ・アメリカにも出場している。また、コロンビア・国内サッカーリーグの設立にも貢献、1951年から1953年まではコロンビアサッカー協会のテクニカル・ディレクターも勤めた。
1955年にはオランダ代表監督に就任。約2年間オランダ代表チームを率いた後、オランダ・エールディヴィジのFCトゥエンテ・エンスケデやADOデン・ハーグ等のクラブでも監督を歴任する。
南米とヨーロッパの両大陸で実績を残した指導者として高い評価を得ている。特にコロンビアでは「プロサッカーの父」として知られている。