エルンスト・ハッペル
Ernst Happel (1925.11.29-1992.11.14)
オーストリア・サッカーの長い歴史での中でも、最も偉大な監督としてとても高い評価を得ている指導者。オーストリアの20世紀最優秀監督に選出されている。
選手時代は主にSKラピード・ウィーンに所属し、7回のリーグ優勝を果たす。オーストリア代表として51試合に出場、1954年FIFAワールドカップ・スイス大会で3位という好結果を収めたオーストリア代表チームの主力選手であった。
引退後は指導者として、オランダ、ベルギー、スペインのクラブを渡り歩き、数多くの国内及び国際タイトルを獲得。1970年にはフェイエノールトの監督としてUEFAチャンピオンズカップ(UEFAチャンピオンズリーグの前身)とトヨタカップで優勝している。
1978年FIFAワールドカップ・アルゼンチン大会ではオランダ代表監督を務め、ヨハン・クライフが代表から引退した後のオランダ代表チームをまとめ上げ、見事準優勝を果たしている。
その後は再び数々のクラブの監督に就任。フェイエノールトでUEFAチャンピオンズカップを制した13年後の1983年には、ハンブルガーSVを率いて再びUEFAチャンピオンズカップで優勝を果たすという歴史的快挙を達成。
ヨーロッパ・サッカーの歴史上、ドイツ出身のオットマー・ヒッツフェルトを除き、異なる二つのクラブでUEFAチャンピオンズカップを獲得した唯一の監督となった。
1987年、FCヴァッカー・インスブルックの監督としてオーストリアに戻り、1992年にオーストリア代表の監督になるまでに2度のオーストリア・ブンデスリーガ優勝を果たした(1989年、1990年)。
1960年代にヨーロッパの監督として初めて「プレッシング」の戦術を開発し、オフサイドトラップ、ゾーンプレスなど当時としては最先端の戦術を次々とチームに導入。
後に有名になるオランダの「トータルフットボール」の基礎を既に1960年代前半に作り上げていた事で「モダン戦術の発案者」として知られている。
「トータルフットボール」で世界的に有名になったリーヌス・ミケルスもエルンスト・ハッペルを尊敬していたと発言している。
ハッペルは世界トップレベルの指導者として多くのタイトルを獲得しただけではなく、ヨーロッパのサッカー界に多大な影響を与えた。ハンブルガーSVでハッペルの中心選手でもあったフェリックス・マガトは「ハッペル監督の下では30年先のサッカーをしていた」と発言している。
優勝回数と同じように準優勝の回数も多いが、これはハッペルが自らのフィロソフィーに基づき攻撃的なサッカーを展開し、結果を求めるために守備的なサッカーにシフトチェンジしなかった証拠とされている。
1992年、66歳で癌のため死亡したが、ハッペルの死後は彼の栄誉を称え、オーストリアの最も大きなサッカー競技場であるウィーンの「プラーター・シュターディオン」が、「エルンスト・ハッペル・シュターディオン」へと改名された。
獲得タイトル(監督として)
FIFAワールドカップ・アルゼンチン大会準優勝:1回 1978
トヨタカップ優勝:1回 1970
トヨタカップ準優勝:1回 1983
UEFAチャンピオンズカップ優勝:2回 1970、1983
UEFAチャンピオンズカップ準優勝:1回 1978
UEFAカップ準優勝:2回 1976、1982
オランダ・エールディヴィジ(1部)優勝:2回 1969、1971
オランダ・エールディヴィジ(1部)準優勝:3回 1970、1972、1973
オランダ・カップ優勝:2回 1968、1969
オランダ・カップ準優勝:3回 1963、1964、1966
ベルギー・ジュピラーリーグ(1部)優勝:3回 1976、1977、1978
ベルギー・ジュピラーリーグ(1部)準優勝:1回 1980
ベルギー・カップ優勝:2回 1977、1981
ドイツ・ブンデスリーガ優勝:2回 1982、1983
ドイツ・ブンデスリーガ準優勝:2回 1984、1987
DFBポカール優勝:1回 1987
オーストリア・ブンデスリーガ優勝:2回 1989、1990
オーストリア・ブンデスリーガ準優勝:1回 1991
オーストリア・カップ優勝:1回 1989
オーストリア・カップ準優勝:1回 1988
オーストリア・スーパーカップ準優勝:2回 1989、1990
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