ハインリッヒ・ミュラー
Heinrich Müller (1909.05.13-不明)
FKアウストリア・ウィーンの黄金時代を築き、ブラジルで開催されたクラブワールドカップでは2年連続準決勝進出を果たしている。
現役時代はオーストリアとハンガリーでプレー。「ヴンダーチーム」の一員としてヨーロッパ・ネーションズカップにも出場している。
指導者としては1940年代、50年代、60年代、70年代で3度に渡りFKアウストリア・ウィーンの監督に就任。特に1940年代から50年代にかけては同クラブの黄金時代を築く。
幾度となくオーストリア・ブンデスリーガ及びオーストリア・カップでの優勝を果たし、1951年と1952年にブラジルで開催されたFIFAとCBF(ブラジルサッカー連盟)が共催したクラブワールドカップ(当時の正式名称は「コパ・リオ」)では、開幕戦で1950年FIFAワールドカップ・ブラジル大会での優勝選手が5人スタメン出場し、当時南米最強チームの1つであったナシオナル・モンテビデオをマカラナン・スタジアムで4‐0で下し、2年連続準決勝進出を果たすなど、国際大会でも当時世界最高水準にあったオーストリア・サッカーの力を証明している。
FKアウストリア・ウィーン以外ではオランダ代表、ヴィレムII・ティールブルク(オランダ)、AEKアテネ(ギリシャ)の監督を歴任している。