アントン・プフェッファー
Anton Pfeffer (1965.08.17-)
FKアウストリア・ウィーンの中心選手として15年間プレー、オーストリア・ブンデスリーガで396試合に出場した名DF。
20歳の頃にオーストリア・ブンデスリーガの名門FKアウストリア・ウィーンに移籍。特に対人プレーに強いDFとして「ランボー」の異名を取った。他クラブからのオファーも多くあったが、現役を引退するまで同クラブでプレー、闘志溢れるプレーが魅力の人気選手であった。
長年に渡り主将としてもチームを率い、オーストリア・ブンデスリーガ優勝4回、オーストリア・カップ優勝4回、オーストリア・スーパーカップ優勝4回を果たしている。
オーストリア代表選手としては63試合に出場、1990年FIFAワールドカップ・イタリア大会と1998年FIFAワールドカップ・フランス大会では予選突破の原動力となり、本大会出場を果たしている。
2000年に現役を引退。2001年8月にはFKアウストリア・ウィーンの監督に就任するものの、僅か4ヶ月間で解任される。
以降はニーダーエステライヒ州政府の公務員としての仕事をこなしながら、歌手としてCDを出したりもしている。
写真提供:GEPA-Pictures