アントン・「トニー」・ポルスター
Anton „Toni“ Polster (1964.03.10-)
ゴールデンブーツ賞(ヨーロッパ年間最優秀得点王賞)も獲得し、オーストリア、イタリア、スペイン、ドイツで活躍した1980年代から90年代にかけてのスター選手。
1973年から1987年までオーストリアの名門FKアウストリア・ウィーンに所属。オーストリア・ブンデスリーガ優勝3回、オーストリア・カップ優勝1回に貢献し、自らも1985年から3年連続でリーグ得点王に輝く。
1986年にはブロンズブーツ賞(ヨーロッパ最優秀得点王賞3位)、1987年にはゴールデンブーツ賞(ヨーロッパ最優秀得点王賞1位)を獲得。名実と共にヨーロッパを代表するフォワードの1人になる。
1987年の夏にイタリア・セリエAのACトリノに、翌年にはスペインの名門セビージャFCに移籍。1991年にはスペインのリーグ得点王順位で2位になり、後に所属するCDログロニェスやラーヨ・バジェカーノでも得点を量産する等、5年に渡りスペインリーグを代表するストライカーの1人として優れた実績を残す。
また、現在まで破られていないセビージャFC(33得点)とCDログロニェス(14得点)のスペイン・プリメーラ・ディビシオンでの年間最多得点記録の保持者でもある。
しかしラーヨ・バジェカーノでの給料未払い問題により1993年の夏に同クラブを退団。活躍の場をドイツ・ブンデスリーガに移す。
1993年から1998年まではドイツの名門1.FCケルン、1998年から2000年までは同じく名門のボルシア・メンヒェングラッドバッハの主力選手としてゴールを量産、両クラブでチーム随一の人気選手となる。
ブンデスリーガ得点王争いでも常に上位にランクし、優れたプレーと明るく陽気な性格も手伝い、ドイツ・ブンデスリーガを代表する選手の1人になる。
2000年の1月から6月まではオーストリア・ブンデスリーガに属するSVアウストリア・ザルツブルク(レッドブル・ザルツブルクの前身)でプレー。同年の夏に惜しまれながら現役を引退する。
オーストリアA代表チームでは計95試合に出場し44得点を記録。1990年FIFAワールドカップ・イタリア大会と1998年FIFAワールドカップ・フランス大会にも出場している。
現役引退後はボルシア・メンヒェングラッドバッハのマーケティング部門でクラブ運営の経験を3年間積み、2004年に古巣FKアウストリア・ウィーンのGMに就任するものの、会長とのトラブルから僅か1年で解任される。
以降は有料チャンネルPremiere Austriaでコメンテーターを務めたり、ドイツやオーストリアの様々な番組でエンターテイナーとして出演しており、また多くのCMにも出演している。
それ以外にもポップ歌手としてもキャリアを積んでおり、既に数枚のCDを出している。現在ではオーストリアで最も知名度の高いエンターテイナーの1人として知られている。
「監督業はしない」と公言しており、最近は上記のようなサッカー分野以外での活躍が目立つようになったため、現場復帰はもう無いのではないかと噂されている。
しかし打点の高いヘディングと正確なポストプレー、少ないチャンスをものにできる高い決定力、ゴールゲッターとして得点の匂いをかぎ付ける天性の能力、正確なフリーキックなどを武器に歴史に名を残した名選手であったことは間違いない。
写真提供:GEPA-Pictures