ヴァルター・ゼーマン
Walter Zeman (1927.05.01-1991.08.08)
1920年代から現在まで続くオーストリアの名GKの伝統を受け継ぎ、1953年にはFIFA世界選抜チームにも選出されたGK。
1940年代から1960年代までSKラピード・ウィーン等各オーストリアのクラブでプレー。多くの国内タイトルのみではなく、UEFAチャンピオンズリーグの前身であるミトローパ・カップでの優勝、UEFAチャンピオンズカップ準決勝進出などを果たしている。
当時のGKとしては珍しく足下のプレーにも優れており、抜群のリーダーシップで守備をオーガナイズするなど「近代的なGK」として高く評価される。1951年から1953年まで3年連続でオーストリア最優秀選手に選出される。
第2次世界大戦後に復活したオーストリア代表チームの初代守護神となり、戦後の初戦ではフランスを4‐1のスコアで撃破している。
1954年FIFAワールドカップ・スイス大会の予選では全試合に出場し、チームもポルトガルを9‐1で破るなどの圧倒的な強さを見せ本大会出場権を得るものの、膝の怪我により本大会には間に合わなかった。
しかしゼーマンの代わりに出場していたGKが準決勝に病気で出場できなくなり、怪我が完治しないままゼーマンが試合に出場。後に優勝する西ドイツに敗れ、ゼーマンもこの大会以降代表から引退する。
引退後は長年に渡りSKラピード・ウィーンの育成部門でコーチを務めていた。