FCヴァッカー・インスブルック - オーストリア・サッカー専門ホームページ

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FC ヴァッカー・インスブルック (FC Wacker Innsbruck)

ドイツ語表記
FC Wacker Innsbruck
日本語表記
FCヴァッカー・インスブルック
創設年
1913年
ホームタウン
チロル州 インスブルック
スタジアム
ティヴォリ・シュターディオン
公式サイト

Wappen_WackerInnsbruck.jpgFCヴァッカー・インスブルック(FC Wacker Innsbruck)は、オーストリア・チロル州の州都インスブルック市を本拠地とするサッカークラブ。

栄光の時代と財政難・破産を繰り返し、幾度も同じ地に再建された。現クラブの成立は2002年だが、その前身となった諸クラブをあわせると(FCチロル・インスブルック、FCヴァッカー・インスブルックなど)、過去に幾度もリーグ制覇を果たし、元オランダ代表監督のエルンスト・ハッペルや現ドイツ代表監督のヨアヒム・レーヴらが率いたオーストリアを代表する名門である。

クラブ設立からオーストリア・ブンデスリーガ昇格まで

ハプスブルク家が支配したオーストリア・ハンガリー帝国時代の1915年、現クラブの母体となるFCヴァッカー・インスブルックが創設された。当初はオーストリア国内や当時はオーストリア領であった北イタリアで数多くの親善試合を行うが、第1次世界大戦の影響もあり、オーストリア・サッカー協会が運営する公式リーグに参加するようになるのは1920年からのことであった。
戦力強化のために1922年には同じくインスブルックを拠点としていたFCラピード・インスブルックと一時的に合併したこともあったが、翌年には合併を解消し、再びFCヴァッカー・インスブルックとして公式戦に参加している。

1924年からインスブルック市内にあるティヴォリ地区のサッカー場でホーム戦が行われるようになった。現在でも同じ地区に本拠地のサッカースタジアム「ティヴォリ・シュターディオン」が建てられており、FCヴァッカー・インスブルックとティヴォリ地区はお互いなくてはならない関係になっている。

トップチームは1920年代から30年代にかけて徐々に力をつけていき、下位リーグからの昇格を重ねるようになる。1930年代後半から1940年代後半にかけてはナチス・ドイツ時代の政策と第2次世界大戦の影響もあり、再び下位リーグに降格することもあったが、1953年にはオーストリア3部に、1958年にはオーストリア2部への昇格を果たした。
オーストリア1部リーグにあたるオーストリア・ブンデスリーガ(当時のリーグ名は「シュターツリーガ」(「Staatsliga」))に昇格したのは1964年のことであった。

オーストリア・ブンデスリーガでの好成績、そして黄金の1970年代の幕開け 

1964年にオーストリア・ブンデスリーガへの昇格を果たすと、1967年と1968年には同リーグでの準優勝を、1970年にはオーストリア・カップでの優勝を果たし、翌シーズンのUEFAカップウィナーズカップではスペインの名門レアル・マドリードをホームで破るなどブンデスリーガ所属当初から強豪ぶりを発揮する。

1971年には待望のオーストリア・ブンデスリーガでの優勝を飾り、またクラブの歴史上最も多くのタイトルを獲得したことから、「クラブの第1黄金時代」と言われている70年代が幕を開ける。

1970年代 - 第1黄金時代

1970年代に入ると後にガンバ大阪で監督を務めることになるフリードリッヒ・コンシリアをはじめ、4年連続バロンドール(ヨーロッパ年間最優秀選手賞)でベスト5に選出されるブルーノ・ペッツァイ、同クラブでの活躍により後にスペイン・プリメーラ・ディビシオンの名門バレンシアCFで主力選手となるクルト・ヤーラなど多くのオーストリア代表選手が所属するようになり、オーストリアを代表する強豪クラブに成長する。

クラブの第1黄金時代といえる1970年代には、オーストリア・ブンデスリーガで優勝5回(1971年、1972年、1973年、1975年、1977年)、準優勝2回(1974年、1976年)、オーストリア・カップ優勝5回(1970年、1973年、1975年、1978年、1979年)、準優勝1回(1976年)と圧倒的な強さを誇る。

1975年と1976年にはUEFAチャンピオンズリーグの前身となったミトローパ・カップでも優勝。ミトローパ・カップで連破を果たした翌年にはUEFAチャンピオンズカップでFCバーゼルやセルティックを破り準々決勝まで進出、当時ヨーロッパ最強クラブの一つであったドイツの名門ボルシア・メンヒェングラッドバッハをホームで破るなどヨーロッパカップでも見事な結果を残した。

しかし、70年代末になるとクラブは財政難に陥り1979年には2部へ降格。1981年にはオーストリア・ブンデスリーガに復帰するものの、財政的な問題はなかなか解決されず1980年代半ばまで低迷を続けた。

1980年代後半 - 第2黄金時代

1986年、チロルの世界的企業、スワロフスキー社がクラブのオーストリア・ブンデスリーガ・ライセンスを買収。巨大な資金力をバックにクラブ経営に直接関わるようになりクラブ名も「FCスワロフスキー・チロル」に変更される。FIFAワールドカップ準優勝、トヨタカップ優勝、UEFAチャンピオンズカップ優勝2回を果たすなど4カ国のクラブを率いて20以上のタイトルを獲得したオーストリアを代表する名将エルンスト・ハッペルを監督に招聘し、ミヒャエル・バウアーやブルーノ・ペッツァイ、クリストフ・ヴェスターターラー、ペーター・パクルトなど多くのオーストリア代表選手を揃え、さらにドイツ代表選手のハンズィ・ミュラーや、アルゼンチン代表選手のネストル・ゴロシートなどを獲得。クラブは2度目の黄金期を迎える。

UEFAカップ本大会ではロシアの名門スパルタク・モスクワやイタリアの名門ACトリノなどを次々と破り準決勝に進出(1987年)。UEFAインタートトカップでは1989年1991年まで3連覇を果たす。

オーストリア・ブンデスリーガでは1989年から1991年まで優勝、優勝、準優勝と好結果を残し、オーストリア・カップでも1987年、1988年に準優勝、1989年に優勝を果たす。

また、ハッペル監督の指導の下、多くの若手選手が飛躍的な成長を成し遂げ、1990年FIFAワールドカップ・イタリア大会予選ではオーストリアA代表チームのスタメンの約半分が同クラブ所属選手であることも珍しくなく、オランダやスペインなどヨーロッパの強豪を相手に勝利をもたらしている。

しかし、1992年にスワロフスキー社がクラブから手を引くとクラブは再び財政難に陥り、1990年代後半まで低迷が続く。クラブの正式名称も「FCチロル・インスブルック」に変更される。

1990年代後半までには、後にドイツA代表ヘッドコーチに就任するホルスト・フルベッシュ、後に浦和レッズの監督に招聘されるホルスト・ケッペル、現役時代にゴールデンシューズ賞(ヨーロッパ年間最優秀得点王賞)を獲得し、後にオーストリアA代表監督に就任するヨハン・クランクルなど次々と新監督が就任し、オーストリア・ブンデスリーガでの中位の地位はキープするものの、上位に進出し、優勝争いに絡むことはなかなかできないでいた。

1990年代後半 - 2000年代前半 第3黄金時代

1998年頃から政治的なサポートもありチロル州の数多くの企業がスポンサーとしてつき、クラブは3度目の黄金期を迎える。

インスブルック出身のクルト・ヤーラが監督に就任し、2000年のオーストリア・ブンデスリーガ優勝を皮切りに、2001年、2002年と国内リーグ優勝3連覇を成し遂げ、インスブルックのサポーターを熱狂させる(2001年秋にクルト・ヤーラはドイツ・ブンデスリーガの名門ハンブルガーSVの監督に就任。後任として現ドイツ代表監督を務めるヨアヒム・レーヴが監督に就任)。

UEFAカップ本大会ではドイツ・ブンデスリーガの名門シュトゥットガルトやセリエAの名門フィオレンティーナを相手に勝利を収めるなど好結果を残したが、高額な選手年俸とUEFAチャンピオンズリーグ本大会出場を最後の最後で逃したこともあり(最終予選で敗退)、財政が破綻してクラブ消滅へと追い込まれる。

再建 - 新たなスタート

2002年に「FCヴァッカー・チロル」の正式名称の下、新たに再建されたクラブは、オーストリア・サッカー協会の特別な計らいにより、レギオナルリーガ西部(オーストリア3部)からの再出発を許可された(注:オーストリアには9部リーグまであり、このようなクラブ再建のケースでは通常9部からの再スタートが慣例となっている)。

1964年より、1979年から1981年までの2年間を除けば、全シーズンにおいてオーストリア・ブンデスリーガに所属していた名門クラブがこのような形で降格したことはサポーター達にとって大きな悲しみとなったが、それぞれ1年でオーストリア3部、オーストリア2部で優勝を果たし、2年後の2004年には再びオーストリア・ブンデスリーガ復帰を果たした。
2007年7月には、クラブの正式名が「FCヴァッカー・チロル」から由緒正しい「FCヴァッカー・インスブルック」に戻され、多くのサポーターから歓迎された。

2008年現在ではまだ一昔前の黄金時代を彷彿させるような圧倒的な強さを誇るだけの戦力は整っていないが、若手経営陣の下、名門復活に向けて多くの新しい取り組みが行われており、将来が楽しみなオーストリアを代表するクラブである。

女子サッカーの名門として

FCヴァッカー・インスブルックの元々の女子サッカー部門設立は1980年代と現在オーストリア・ブンデスリーガに所属しているクラブの中では最も古い(オーストリアでは男子とは全く別の女子サッカーの強豪クラブがあり、男子のプロサッカークラブが女子チームを運営することは長い間行われていなかった)。

1985年にはオーストリア・カップでの優勝を果たすなど好結果を残していたが、財政敵な理由から1990年代に入ってから一度活動が停止されている。
しかし、2004年にオーストリア・サッカー協会は全てのオーストリア・ブンデスリーガ(男子)のクラブは女子サッカー部門をも運営するべし、という方針を打ち出すと、元々FCヴァッカー・インスブルックのサポーターの間で「女子サッカー部門の復活を」と願う声が多かったことから、同クラブとしても女子サッカー部門の新たなる創設に取り組むようになる。
そして2006年6月に同じインスブルックを拠点とし、提携関係を結んでいた女子サッカーの名門インスブルッカーAC (Innsbrucker AC)の女子部門を譲り受けた。そのため、当初FCヴァッカー・インスブルックの女子サッカーチームの選手はほぼ全員元インスブルッカーACの選手、という状況であった。
インスブルッカーACの女子チームは長年に渡り女子のオーストリア・ブンデスリーガ(1部)に所属、女子のUEFAチャンピオンズリーグ本大会(UEFA Womans Cup)にも出場したことがあるほか、多くのオーストリア代表選手を輩出し、イタリアのセリエAなどからも選手が移籍してくるオーストリアを代表する強豪チームであったが、ブンデスリーガの所属ライセンスをクラブ同士で譲ることがオーストリア・サッカー協会に認められなかったため、2006-2007年シーズンに新たに創設されたFCヴァッカー・インスブルックの女子トップチームは、女子のレギオナルリーガ(オーストリア2部)からの再出発を余儀なくされた。

しかしインスブルッカーAC時代から同チームに所属していたオーストリア代表選手を始め多くの選手が残留したほか、FIFA U19ワールドカップ大会優勝経験のある元U19ドイツ代表選手などがFCヴァッカー・インスブルックの女子部門に新たに移籍してきたため、レギオナルリーガでは圧倒的な強さで優勝を果たし、2007ー08年のシーズンから再びブンデスリーガに復帰した。
現在では女子のトップチーム(オーストリア・ブンデスリーガ)とサテライトチーム(オーストリア2部)がFCヴァッカー・インスブルックによって運営されており、特にトップチームはオーストリアでもコンスタントにベスト3に入る強さを誇っている。

また、他のオーストリア・プロサッカークラブの中でもクラブ内で最も女子サッカーのステータスが高いクラブとして女子サッカー業界で高い評価を得ており、ホームページなどでも女子のトップチーム及びサテライトチームは男子のトップチーム及びサテライトチームと同等の扱いを受けている。
また、「女子サッカー部門はクラブのフィロソフィーの一環として存在しているので、万が一クラブが財政的な問題に陥る女子サッカーチームを放棄することはあり得ない」と公言しており、オーストリア・サッカー協会のみならず、他のプロサッカークラブにとって模範的な存在となっている。

サポーターの伝統

オーストリアを代表する名門であることから、「ノルドポール・インスブルック」(”Nordpol Innsbruck“)や「フェアリュックテン・ケップフェ」(“Verrückten Köpfe“)など多くのサポーターズクラブが存在しており、各サポーターズクラブの代表からなる「ティヴォリ・ノルド」(”Tivoli Nord”)グループの下、全サポーターズクラブがオーガナイズされている。
同クラブのサポーターは試合中の派手なコレオグラフィーや試合開始直前の緑色の発煙筒などで有名である。また、サッカースタジアム内だけではなく、スタジアム外などでも外国人排除反対や差別反対などの政治的な活動や移民や金銭的に貧しい人々を援助する社会的活動を積極的に行っていることで知られており、クラブ自体がこのような活動を積極的サポートしていることから、上記活動のために毎シーズン一定の金額がサポーターズクラブに供給されている。

イングランド、ドイツ、イタリア、スコットランド同様サッカーが単なるエンターティメントやスポーツではなく、社会、そして生活の一部として根付いているオーストリアでは、各クラブのサポーターにも個性と政治的な位置づけがある。FCヴァッカー・インスブルックのサポーターは、右翼として知られているSKアウストリア・ケルンテンとは対照的に、外国人にも非常に好意的である。その好例として、2008-09年シーズンのチーム最大のスターはアフリカ系オランダ人であることがあげられる。チームのために「常に高いモチベーションをみせる選手」に対して正当な評価を与え、オーストリア人であろうと外国人であろうと良いパフォーマンスを見せればサポーターから愛され歓迎される。

ドイツの名門アイントラハト・フランクフルトとイタリアの名門アタランタ・ベルガモのサポーターズクラブと友好関係を結んでおり、定期的に交流が行われている。

タイトル

国内タイトル
・オーストリア・ブンデスリーガ優勝10回 (1971、1972、1973、1975、1977、1989、1990、2000、2001、2002)
・オーストリア・ブンデスリーガ準優勝5回 (1967、1968、1974、1976、1991)
・オーストリア・カップ優勝7回 (1970、1973、1975、1978、1979、1989、1993)
・オーストリア・カップ準優勝6回 (1976、1982、1983、1987、1988、2001)
・オーストリア・スーパーカップ準優勝5回 (1987、1989、1990、1993、2000、2001)
・レギオナルリーガ西部(オーストリア3部)優勝2回、エアステリーガへ昇格 (1958、2003)
・オーストリア・エアステリーガ(オーストリア2部)優勝3回、オーストリア・ブンデスリーガへ昇格、(1964、1981、2004)


国際タイトル
・ミトローパ・カップ優勝2回 (1975年、1976年)
・UEFAインタートトカップ優勝4回 (1975年、1989年、1990年、1991年)
・UEFAインタートトカップ準優勝1回 (1995年)
・UEFAカップ準決勝進出 (1987年)
・UEFAチャンピオンズカップ準々決勝進出 (1978年)  

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写真提供:Olympiaworld Innsbruck
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