グラーツァーAK (Grazer AK)
ドイツ語表記 |
Grazer AK
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日本語表記 |
グラーツァーAK
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創設年 |
1902年
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ホームタウン |
シュタイヤーマルク州 グラーツ
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スタジアム |
グラーツ・リーベナウ・シュターディオン
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公式サイト |
グラーツァーAK(Grazer AK)は、オーストリア・シュタイヤーマルク州の州都グラーツを本拠地とするサッカークラブ。
長年に渡りイヴィツァ・オシム監督が率いたことで日本でも有名になったSKシュトゥルム・グラーツのライバルであった。
クラブが創設されたのは後に最大のライバルとなるSKシュトゥルム・グラーツより7年早い1902年。1951年にオーストリア・ブンデスリーガに昇格するものの、1975年と1990年には2部に降格するなどオーストリア・ブンデスリーガの弱小クラブの1つであった。
1981年にはシュタイヤーマルク州のクラブとしては初となるオーストリア・カップでの初優勝を果たし、まだ当時無冠であったライバルのSKシュトゥルム・グラーツの一歩先を行く形となる。しかしオーストリア・ブンデスリーガではなかなか上位を臨めない状況が長年に渡り続く。
その後1995年にブンデスリーガ復帰を果たすと積極的なクラブの強化が行われるようになる。
特に1990年代後半は「カルトニッグ&オシム体制」の下目覚しい成長を遂げたライバル・SKシュトゥルム・グラーツの活躍によって影が薄くなっていたものの、1996-97年シーズンから2005-06年シーズンの10シーズンの内9シーズンでヨーロッパカップに出場するなどコンスタントに好結果を残すようになる。
特にSKシュトゥルム・グラーツの黄金時代が終焉を迎えた2000年代前半には多くの各国代表選手がグラーツァーAKに移籍し、オーストリア・ブンデスリーガ優勝1回、オーストリア・カップ優勝3回、オーストリア・スーパーカップ優勝2回と長年目標にしてきたタイトルを総なめにする。
また、2004-05年シーズンにはヨーロッパカップでイングランドの名門リバープールをアウェーのアンフィールトロードで破るなどの見事な躍進を見せる。
しかしSKシュトゥルム・グラーツ同様1990年代後半から始まった人件費の拡大により深刻な財政難に陥り、2006-2007年のシーズン後に破産申請をせざるを得なかった。
2007-08年シーズンからはオーストリア・ブンデスリーガのライセンスを取得できず、オーストリア3部からの再スタートを切っている。
タイトル
国内タイトル
・オーストリア・ブンデスリーガ優勝:1回 (2003年)
・オーストリア・カップ優勝:4回 (1981年、2000年、2002年、2004年)
・オーストリア・スーパーカップ優勝:2回 (2000年、2002年)
写真提供:Grazer AK
GEPA-Pictures