レッドブル・ザルツブルク (FC Red Bull Salzburg)
ドイツ語表記 |
FC Red Bull Salzburg
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日本語表記 |
レッドブル・ザルツブルク
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創設年 |
1933年
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ホームタウン |
ザルツブルク州 ザルツブルク
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スタジアム |
ブルズ・アリーナ
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公式サイト |
レッドブル・ザルツブルク(FC Red Bull Salzburg)はオーストリアのザルツブルク州ザルツブルク市にホームを置くサッカークラブ。
1933年にクラブ設立と長い歴史を持つが、2005年にレッドブル社に買収されオーストリアを代表する強豪クラブになった。「皇帝」として知られるドイツのフランツ・ベッケンバウアーが特別顧問を勤めている。
クラブ設立
1933年にSVアウストリア・ザルツブルク(SV Austria Salzburg)として誕生した。1953年に1部リーグにあたるオーストリア・ブンデスリーガに昇格(当時のリーグ名は「Staatsliga」)。
1960年代-1980年代
1971年にはオーストリア・ブンデスリーガで準優勝を飾ることが出来たが、それ以外のシーズンではなかなか良い結果を残すことが出来ず、1960年代には3度、1970年代と1980年代に1度ずつ2部リーグへの降格も経験した。
FKアウストリア・ウィーン、ラピード・ウィーン、そしてFCヴァッカー・インスブルックの強豪クラブがリーグ優勝やカップ優勝を重ねる中、SVアウストリア・ザルツブルクはオーストリア・ブンデスリーガの弱小クラブの一つであった。
ちなみに1973年よりスポンサー名がクラブ名に付くようになり、クラブ名は"SV Gerngroß A. Salzburg"(1973-1976)、"SV Sparkasse Austria Salzburg"(1976-1978)、"SV Casino Austria Salzburg"(1978-1997)、"SV Wüstenrot Salzburg"(1997-2005)と変更された。
1990年代 短い黄金時代
長年スポンサーであったオーストリア・カジノ社が積極的に投資するようになり、ヴォルフガング・ファイアージンガー、トーマス・ヴィンクルホーファー、ハイモ・プファイフェンベルガー、ヘリベルト・ヴェーバー、オットー・コンラードなど数多くのオーストリア代表選手が所属するようになる。
1992年、そして1993年にはオーストリア・ブンデスリーガで準優勝、そして1994年にはオットー・バリッチ監督の下、悲願のオーストリア・ブンデスリーガ優勝を果たした。
同じく1993-1994年のシーズンにはUEFAカップでスポルティング・リスボンやアイントラハト・フランクフルトを破り決勝に進出。決勝ではインテル・ミラノと対戦しホームとアウェーで0-1で敗北。優勝は果たせなかったが、UEFAカップ準優勝という結果を残した。
1994-1995年のシーズンではオーストリア・ブンデスリーガで2年連続優勝、UEFAチャンピオンズリーグでは本大会に進出する。グループリーグではその後決勝戦に進出することになるアヤックス・アムステルダムを相手にホームとアウェーで引き分け、AEKアテネには勝利するが、ACミランに負け惜しくもグループリーグ敗退が決まった。
1995-1996年のシーズンではクラブ内の権力争いもありチームがなかなかまとまらずオーストリア・ブンデスリーガで8位と低迷する。2年連続優勝を果たしたクラブとしては期待を裏切る結果であった。
1996年の夏には数多くの主力選手を放出、中心選手であったヴォルフガング・ファイアージンガーがボルシア・ドルトムントへ、ハイモ・プファイフェンベルガーがヴェルダー・ブレーメンへ、そしてオットー・コンラードがレアル・サラゴサへ移籍した。
そのため戦力の低下が懸命されたが、レネー・アウフハウザー、ローベルト・イベルツベルガー、ゲルノット・プラスネッガーなど若手も育ち、クラブ歴史上3度目になるオーストリア・ブンデスリーガでの優勝を果たした。
1997年-2005年
しかし、1997年のリーグ優勝後はオーストリア・ブンデスリーガ、オーストリア・カップ、そしてヨーロッパカップでも期待されたような結果を残す事が出来ず、オーストリア・ブンデスリーガでは優勝争いに絡むどころか、2部降格の危機もあった。
2000年以降もオーストリア・ブンデスリーガで6位、6位、3位、7位、9位と目立った結果を残す事が出来ず、オーストリア・カップでも2部のFCケルンテンやサンクト・ペルテンに敗北するなど1990年代の黄金時代を知るザルツブルク・サポーターの期待を裏切り続けた。
レッドブル社による買収 – 新たな強豪クラブへ
2005年にオーストリア資本の清涼飲料水販売会社のレッドブル社がクラブを買収して「レッドブル・ザルツブルク」となった。
2005-2006年のシーズンではFCヴァッカー・インスブルック、ハンブルガーSV、1.FCカイザースラウテルンなどの監督を務めたクルト・ヤーラがレッドブル・ザルツブルク初の監督に就任。
ドイツ・ブンデスリーガで長年活躍したトーマス・リンケ(元シャルケ04、バイエルン・ミュンヘン)、アレクサンダー・ツィックラー(元バイエルン・ミュンヘン)、アレクサンダー・クナーフス(元カイザースラウテルン、ボーフム)、ヴラティスラフ・ロクヴェンツ(元カイザースラウテルン、ボーフム)などが次々に加入、チーム力も飛躍的に上がりオーストリア・ブンデスリーガで準優勝を果たす。しかし2005-2006年のシーズン終了後、クルト・ヤーラ監督を解雇した(選手の移籍金問題でフロントと対立したため)。
2006年の夏にはジョバンニ・トラパットーニとローター・マテウスをそれぞれ監督、ヘッドコーチに迎え、 豊富な資金力をバックにニコ・コバチ(元バイヤー・レバークーゼン、ハンブルガーSV、バイエルン・ミュンヘン、ヘルタ・ベルリン)、ヨハン・フォンランテン(元PSVアイントホーフェン、NACブレダ、ブレシア)、ティモ・オクス(元1860ミュンヘン)、レモ・マイヤー(元FCルツェルン、1860ミュンヘン)、ホルヘ・ヴァルガス(元レッジーナ、エンポリ、リヴォルノ)、クリスティアン・ティッファート(元VfBシュトゥットガルト)、マークス・シュタインヘーファー(元バイエルン・ミュンヘン・サテライト)などを獲得。2006年12月にはガンバ大阪の宮本恒靖と浦和レッズのアレックスを獲得した。
2006-2007年シーズンのオーストリア・ブンデスリーガでは、圧倒的な強さで10年ぶり4度目のリーグ優勝を果たした。
UEFAチャンピオンズリーグ第2予選ではスイス・スーパーリーグ優勝クラブのFCチューリッヒを撃破、第3予選に進出したがスペインの名門バレンシアCFを相手に惜敗し、UEFAカップに出場。イングランドのブラックバーン・ローヴァーズを相手にホームで2-2、アウェーで0-2の結果を残し敗退した。
2007年6月12日、様々な見解の違いから(公式ホームページ日本語版)ローター・マテウスヘッドコーチを解任、2007-08年シーズン終了後にトラパットーニ監督が勇退し、コー・アドリアーンセが新監督に就任する事が2008年3月13日にレッドブル・ザルツブルクの公式ホームページで発表された。
バイエルン・ミュンヘンとの提携関係
2005年よりドイツ・ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンと提携関係を結んでいる。多くの元バイエルン・ミュンヘンの選手・スタッフが所属し、バイエルン・ミュンヘンとの関係は深い。
また、同クラブの特別顧問であるフランツ・ベッケンバウアーのネットワークもあり、数多くの元2006ドイツワールドカップ実行委員会のメンバーがクラブマネジメントに関わっている。
ちなみにクラブのスポンサーもバイエルン・ミュンヘンと同じアディダスとアウディである。
バイエルン・ミュンヘン関連人事例:
特別顧問:フランツ・ベッケンバウアー
元スポーツディレクター:オリヴァー・クロイツァー
現スポーツディレクター・アシスタント:トーマス・リンケ
元監督:ジョバンニ・トラパットーニ
元ヘッドコーチ:ローター・マテウス、トーステン・フィンク
元ジェネラルマネージャー:ヘルムート・ザンドロック (元2006ドイツワールドカップ実行委員会メンバー)
サッカー部門取締役:マークス・ヘーフレ (元2006ドイツワールドカップ実行委員会メンバー)
チームマネージャー:マーク・ラング (元2006ドイツワールドカップ実行委員会メンバー)
元所属選手:トーマス・リンケ、マークス・シュタインヘーファー
現所属選手:アレクサンダー・ツィックラー、ニコ・コバチ、ルイス・ヌワト・マホップ
写真提供:Red Bull Salzburg
GEPA-Pictures